
「ここまで暴力がエスカレートする前に、誰か止められなかったのか」
ニュースを見ながら、そう感じた人も多かったのではないでしょうか。
北海道江別市で起きた大学生暴行死事件の裁判では、当時の状況について生々しい証言が続き、多くの人に衝撃を与えています。
裁判で証言した川村葉音被告は、「キレさせたら自分も暴力を振るわれると思っていた」と話しました。
さらに、暴行の最中に「もっとやって」という言葉があったことや、動画撮影を求める声があったことも明かされました。
事件の内容を知り、「怖すぎる」「理解できない」と感じた人も多いと思います。
ただ、この事件で特に考えさせられるのは、“なぜ誰も止められなかったのか”という部分です。
もちろん、暴力は絶対に許されるものではありません。
しかし、人は集団の空気に飲み込まれると、自分でも信じられない行動を取ってしまうことがあります。
自分自身も学生時代、周囲の空気に逆らえず、後から「あの時止めればよかった」と後悔した経験があります。
大きな事件のような話ではありません。
でも、誰かがからかわれていても、その場の空気が怖くて何も言えなかったことがありました。
「自分が逆に標的になるかもしれない」
「空気を壊したくない」
そんな感情が先に来てしまい、結果として見て見ぬふりをしてしまったのです。
今回の事件でも、被告は「怖かった」と証言しています。
もちろん、その言葉だけで責任が軽くなるわけではありません。
ただ、“恐怖”や“支配関係”がある集団では、正常な判断ができなくなることは実際にあります。
SNSでも、
「途中で逃げられなかったの?」
「なんで笑っていられるの?」
「感覚が麻痺していたのでは」
といった声が多く見られます。
実際、人は暴力的な空間に長くいると、感覚が少しずつ麻痺していくことがあります。
最初は「やりすぎ」と感じていても、周囲が笑っていたり、止める人がいなかったりすると、“これが普通なのかもしれない”と錯覚してしまうことがあるのです。
だからこそ、この事件は単なる“特殊な人たちの事件”として片づけるだけではなく、「集団心理の怖さ」を考えるきっかけにもなっているように感じます。
最近はSNSでも、過激な動画や“ノリ”が拡散されやすくなっています。
その空気の中で、「止めたらダサい」「空気を読め」という圧力を感じる若者も少なくありません。
でも、本当に怖いのは、“おかしい”と思う感覚を失ってしまうことです。
自分の感覚で「これは違う」と思った時に、その場から離れる勇気を持つこと。
簡単なようで、とても難しいことですが、それが大きな事件を防ぐ第一歩なのかもしれません。
今回の裁判を通して、多くの人が「人はなぜ暴走するのか」「なぜ止められないのか」を改めて考えさせられたのではないでしょうか。
そして同時に、自分自身も“周囲の空気に流されていないか”を見つめ直す必要があるのかもしれません。
引用
https://news.yahoo.co.jp/articles/c2529b032d6d292f5b0587fe1b3bc2904d1cec79

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